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駅舎、ホームの感じは、昭和30、40年代まであまり変わらないし、旗振り安全確認や復唱して指示するやり方は、戦前にちゃんと決まってたんですね。凄いなぁ。
復唱(指差喚呼)は明治に日本で始まったもので、目が悪い機関士が助士に一々信号を確認していたのを見た御偉方が広めたようです。なので日本と関係国以外ではほぼやっていないようです。
昔昭和45年に国鉄の川越線日進駅に赴任したときはまさに この通票閉塞式でした懐かしいです
線路のアニメーションが実写に切り替わる映像技術が素晴らしい!
ナレーションが自然体で逆に新鮮ですね。この時代の記録映画は戦意高揚のための大仰なナレーションが多いので、当時の人々がどのような標準語を映画やラジオで聴いていたのか、非常に参考になります。現代とほとんど変わらない言葉で安心しました。
秋葉原の交通博物館の信号のコーナーでこの映像流れてましたね。訪れる度に食い入るように観てました。また観る事が出来て嬉しいです。
モハ52の逆塗り塗装も貴重ですね。デビューした頃のクリーム色基調の明るい色を逆にしたあの塗り分けも、渋くて好きです。
現代は、これらの制御をコンピュータで行っているだけで、閉そくや連動、軌道回路の論理・しくみは変わっていない。人間系でも、前後の駅と「現発」や「閉そく」を行い、「指令者」が指示を出し「てこや」が復唱する。動作完了後「オーライ」と報告するのも変わっていない。それだけ完成されたものであると言える。
沢山の貴重な鉄道映像をアップしていただきありがとうございます。流線型C55の実機動画は初めてです。
昭和15年に35mmフイルムで撮影。なので凄くクオリティが高い。レンズもかなりの物が使われていると思います解像度もコントラストも驚くほど良いですね。昭和30〜40年代の16mmフイルムニュースのほうが画質悪いですね。
これ、2000年頃に某大手鉄道会社で運転士教習の教材として見せてもらった。当時はRUclipsとかネット動画もない時代。
列車を撮る時のアングルとかカメラワークが素晴らしすぎる。
台湾の高雄港駅 北信号扱所では、現役ではないものの、この映像と同じ日本統治時代の線路切替機が保存され、実際に線路を動かす体験ができました。説明してくれる台湾人の方が、このRUclipsをみると仕組みがわかりやすいと見せてくれましたよ。
古いのに、めちゃわかりやすいです。鉄道のシステムってほんとによくできてるなあ。
C55流線型や流電52系、それに国産唯一の3シリンダ機C53の旅客機としての主力だった頃の映像に、地上時代の大阪駅など貴重な映像がてんこ盛りですね。
11分ごろに出ている駅は、草津駅ですね。話をする駅員さんも、なんとなく江州訛りが出ています。また、上り側の向こうに、近江富士、三上山の姿も見えます。
訛りまでわかるとは…凄いです(脱帽)
旧草津川の天井川トンネルもあるしビンゴかと
戦前の草津(?)に神戸、大阪、京都の駅が映し出されてとても感無量になりました
どの線路区でロケをやってるのか判りませんでしたが流電(モハ52形)が走っていたので関西だと言うのが判りました。また、信号取扱いの駅は駅舎を見て京都駅と言うのも判りました。流線型のC55や流電のモハ52等貴重な車両が映っていますね。
しかも、ここに登場する車両のうち3両が80年ほど経った現在でも現物として存在するという。
流電が逆塗りバージョンというのも、また貴重ですね。
この映画のレアな所はC55 20流線形が出てる。しかも汽笛の音も流れてる。D50 140も出てる。
私は汽車の事は良く知りませんが、ただ父が産まれて間もない頃、母はまだ生まれてない頃の映像を見ることが出来て、胸が熱くなりました。祖父がまだ若かりし頃の時代の動画を見ることが出来て感動です
ATS導入前の戦前に、これ程まで保安設備が整っていた事に驚きました。
It's very cool to see that Japan had already such modern and sophisticated rail signalling ang track changing system as early as 1940. Very ahead of it's time indeed.
11:00からの人力でポイント切り替えしている所好き
19:35C55流線型の映像とか貴重すぎる...汽笛の音こんなに高かったんだ...
かわいい音で気持ちいいね。
写真とかでは幾度か見たことあるけど、流線型C55が汽笛鳴らして煙吐いて動いている映像が残っているのって、この作品ぐらいじゃないかな。本当にとても貴重で、ずっと残して欲しい作品です。
@@ヒストレイン蒸気機関車紹介みたいな動画に別の映像が残ってますよ
鉄道現場は、意外にも当時から機械化を進めていたことがよく分かります。
戦時体制への移行に伴って若い男性が不足したのも手伝ったようです結果として貨車移動機やタンパーなど先進的な装備が広まりましたが
10分から15分辺りは草津駅(の手前の天井川)や三上山(近江富士)が見えてますね。10年ほど前に住んでたので親しみを感じました
よく戦前の日本は時代錯誤の閉鎖的な世界から遅れた国と思ってる人がいるけど、実際は世界でもかなり技術力があって近代な国だったことがわかると思います。だからこそ、戦争で失ったものが多いのです。人材もですがそれまで培った技術力も失ってしまったんです。
世界初の原子爆弾がまさに日本に落とされようとしていた1945年にも竹槍で応戦しようとしていたという話を聞くと、どうしても「遅れた国」の印象を持ってしまいますね。「一億玉砕」とか、時代錯誤の精神主義以外の何物でもないし。
日本が負けたのは技術力がなかったからじゃなくて、上層部がバカだったからな気がするな(全員ではないけど)
@@zakky-x9wあと同調圧力もありそうです。
@@aka-mt2pn それもある
戦後の日本で戦前のGDPを超えたのは戦争が終わって15年後の1960年くらいまでかかっていてあと4年後で東京オリンピックや新幹線開通とかのレベルの感じだったから戦前の日本が貧しいと言う感じではないだよね
1940年で電気的な信号機ってあったんだ…1941年で真珠湾攻撃あったはずだから、太平洋戦争ぐらいの時の人達ですよね?昔から鉄道は凄い。かっこいい。
電気式信号機は京阪電鉄が最初で大正時代からあるはずです
リレーシステムは明治期の技術だし、軌道電気回路も同様明治末期の技術。同時にATSに当たる機構も開発されている。リレーを使った計算機は日本でも戦前から開発され戦後に製品化、米のベル研究所は1940に複素数計算機を完成させている。二数の積による暗号の場合はこれを使うと解読を大きく早める機能がある。国鉄は東大や京大の巣窟なので最先端の技術を取り込む姿勢が有り、「みどりの窓口」は電算機の発達を国内でもいち早く取り入れたサービスであった。会計人の私としてはJR東海がリースを辞めて買い取りを請求したときの財務を再検証してみて驚いたことがある。当時のJR東海が新幹線路盤のやり替えを目論んで居たこともわかった。(その後300系の導入で線路が破壊されなくなり立ち消えた)
機関車の前に立って旗振りながら安全確認するやり方や駅舎の感じは、昭和30、40年代まで基本変わってないです。このような安全確認だれが発明したかと思いきや戦前に確立していたとは驚きました。
今の人は戦前というと江戸時代か幕末のような、マトモな機械文明も無い時代のような印象で語る人もいますが戦前でも電化されている区間は多数ありましたし、そもそもモータリゼーションが遅れている国でマトモな企業活動を下支えしていたのは鉄道とそれに連結されていた船舶システムがあったからです。コンテナどころかパレットすらまだ無い時代なのですよ?
システムは優れてても物流自体は現代のほうが他の先進国より劣ってるなむしろ原始的な人力頼みすぎて退化してる
僕の仕事はミスっても人が死なないから良かったです。こんな緊張感が続く仕事はとても遂行できないなぁ‼️
私の仕事も同じです(怒鳴られるだけで人的被害は出ない)。友人に医師、トレーラーの運転手、路線バスの運転手、旅客用航空操縦士、飲食関係の現場責任者がいますが、みな「手抜きをしたり、間違えた場合でも消しゴムで消す様な事は許されない」と言っていた事ですね。従事している仕事の責任の重さと重圧が半端ないなと改めて感じました。
@@takana4381すごい友達ばかり。😅
@@佐藤キミアキさん ネタではなく、皆中学時代の同級生。医師やっているのは昔から頭が良かった。横浜市大から医師へ。トレーラーの運転手は父親もトレーラーの運転手。子供の頃から親のトレーラーの助手席に乗っていたので、この職業に付くのが当たり前と思っていたそう。路線バスの運転手は、専門卒業後に日産ディーラーのメカとして就職したが、バスを運転したいとの気持ちがあり、大手民鉄系バス会社へ(メカ時代に大型一種は持っていた)航空機パイロットは小学生時代からの付き合いですが、子供の頃の夢を初志貫徹。大学2年終了時に航空大学へ転進卒業してから某航空会社へ飲食業は高校時代のバイトからのたたき上げ。衛生管理の鬼
入換信号機が今と同じな事に感動
私も国鉄に勤めていましたが、灯列式入信が当時あったとは驚きました。当時はまだ機械式入信ばかりだと思っていたので。
こういうシリーズみたいなの?すごい好き
私の最も好きなC53や流線型C55の動画はじめて観ました。C53はまだ新車ぽい艶ですね。凄すぎる。
新幹線が生まれて、東京駅大阪を2時間半で結んで、間もなく1時間で結ぼうとしている現代でも、見たことあるような信号やら転轍器やら閉塞やらが出てくるの不思議な感覚
詰襟姿の鉄道員、なかなか凛々しいです。
時刻表昭和15年9月号が手元にありますが、東海道・山陽本線に2006レと2010レはあったものの、2008レは掲載されていませんでした。この時代、1000番代は不定期列車(現在の季節列車)、2000番代は臨時列車という区分だったようです。ちなみに2006レは岡山16:42発東京行きで、京都23:15〜22、東京には翌朝9:28到着。2010レは下関23:10発の大阪行きで、大阪には翌朝9:43到着となっています。当時は戦前の国鉄最盛期で、超特急『燕』(東京〜神戸)、その10分前を不定期『燕』(東京〜大阪)、特別急行『富士』(東京〜下関)、特別急行『鴎』(東京〜神戸)、特別急行『さくら』(東京〜下関)、さらには急行ながら1,2,3等寝台と展望車(京都〜下関間)も連結されていた7,8レも東京〜下関間に運転されていました。10:57 C57 123は形式無しナンバープレートですが、このカマは昭和14年12月24日付で梅小路機関区に新製配置されたばかりの新車なので、日支事変が始まった直後にはナンバープレートから形式が省略されていたことが推察できますね。京都駅1番線の軒下の煙除けの造作が美しい✨
防諜上の理由で、架空の列車番号で収録したのかも。当時「鉄道は兵器」とも呼ばれていました。
昭和15年でかなりの映像技術に驚かされる!
バタフライ式焚き戸口なのに片手スコップ、石炭節約の時代なのでしかたないが大変なのは決めた人にはわからないC52から採用した焚き戸口だがアメリカでは大スコップでガンガン焚きエネルギッシュに走り石炭なんて露天掘りでいくらでも掘れる、燃焼室がない日本のカマは熱効率は悪いし石炭は煙管に吸い込まれ詰まって蒸気は更に上がらない爪で拾って箕でこぼすとはこの事。
ホームに洗面台があって実際に使ってる人がいるのが面白い。
✨復唱によって、乗客の安全を✨守っていらっしゃいますね😊
ダブルチェックは今も昔も大事です😉
18:52の線路を跨ぐ高架は、大宮通りの跨線橋かと思います。市電の架線柱が現存している橋です。
通りで見たことあるような気がしました。鋭い
草津駅、大きな駅はたぶん京都? あと、ハッとしたのは当時占領中の台北駅じゃないかと思ったシーンがありました。背後に西本願寺台北分院だと思われる建物がありましたね。たぶん、台北ですね。 C55は、そのころ確かに台北と苗里辺りにあったでしょうから。
この時代でも一部の蒸気機関車に速度計がついていたのですね。もちろん機械式。今ではこの機械式速度計を保守できる人がいないと、どこかの記事で読みました。貴重な映像ばかりでありがたいです。
自動車用ですが、擬似的に機械式の様な針の動きをする電気式社外メーターが販売されていました。
流線C55の後ろの白帯のついた客車はもしかしたら「病客車」のスヘ30かも知れません。日中戦争下であるので戦地から後送されて来た負傷兵が乗車していたかもしれません。一般の人に目に付かないように先頭部に増結していたのも頷けます。
負傷具合で三等車に乗車していたところ、「兵隊さんお疲れ様でございました。どこを負傷されたのですか?こちらへどうぞ」と車掌さんが二等車に案内したということもあったそうです。なお負傷兵が病客車(スヘ30、なお精神病患者専用車も用意されておりそちらはスヘセ30でセは精神病のセ)だけでなく一般車両で移動する場合は白い傷病兵服を着る事が義務付けられていた様で、逆にその様な方を見た場合みんな進んで席を譲ったり車掌さんがクラスを移動させたりしました。
13:17テコでも動かない、に微笑んだ
はい。せりふと身のこなしは、俳優さんかと思うほど。てこが動かないことを証明してくださいました。😊
説得力ある説明ですよね。
この土台があったからこそ新幹線のATC.CTCに生かされている良く新幹線が戦後20年で出来たと言う資本主義者がいるが、戦中、戦前から技術の蓄積が有ればこそなのです。
この時代、もっとアナログなのかと思いきや、今のシステムと何ら変わりのないものが構築されていた
基本的なシステムは同じで、これがリレー式や電子化されただけです😆
SLといえども急行列車の速いこと速いこと!当時のエース、C53、特急の王者C55は運転手さん助手さんは大変だと伺いましたが、みんなの憧れの超特急だったんでしょうね。
昔話のように見えますが、基本的な原理(連動・信号・閉塞)は今の時代も変わらないのがすごいですよね。人力で人の判断で操作しているテコがコンピューターに置き換わっただけです。あと、戦前のこの時代からミミックパネルが使われていたことに驚きです。
ありがとうございます。感謝します。
この映画でC53の3シリンダーの排気音を初めて聞きました。他にも流線形のC55や、当時はまだ新参のC57とか、信号転轍が主役の映画だけど、今となっては時々お伽話みたいに語られる程(笑)の機関車たちが、現役で迫力満点の走りを見せてくれる素晴らしい映画だと思います。
懐かしいです!!
3:16「出発進行」は、駅の向こうにある出発信号が進行になったという意味。駅の手前の信号が青なら、「場内進行」と言う。
短尺レールの心地よい音……
C5347特急富士を牽く姿が本島さんの鉄道に載っています、同じ写真がアイゼンバーンのC52、C53にものっています燐然と輝いてとの表現で当機を賛じています、戦前の黄金期の映像です
いきなり東宝の怪獣映画みたいな音楽が流れてきてワロタ₍wつか、東宝が制作したのね。だから伊福部さんが音楽を担当してるのね。
15:50東海道本線塚本〜大阪の福島あたりのカーブでしょうか?
25:23 かっこいいなぁC53
昔から何も変わっていないのは運転士、駅員には幾重にもバックアップがあるが、点検、工事、保守をする信号現場にはダブルチェック程度のバックアップしかないこと。
吹田のモハ52、京都鉄道博物館に持ってきて欲しい。あれだけ戦前の急電時代の姿に見事に復元された素晴らしい姿、限られた時にしかご開帳されないなんて、勿体ない。
吹田工場へ移動する際にも大揉めに揉めた(吹田工場の助役が豊橋から俺が運転して持ってくると言ったほどに揉めた、結局貨物に連結という形で運んだ)こともあって、吹田工場もおいそれと京都に渡したくないんでしょう。
C53が動くシーンはレアやなぁ~♪
昭和15年は、太平洋戦争開戦前であるが、作業指示、呼応の感じは、軍隊そのものですね戦争に備えて変電所対策なのか、やはり蒸気機関車が目立ちますね😮
この時期すでに戦時輸送体制に突入しています、ですので使用されている石炭の質なども低下傾向にあるため排煙が白では無く黒っぽいものになっています。蒸気機関車が目立つのも変電所対策より石炭の分配・配給体制の軍への優先化もあります。
第一印象はこれです。「本当に昭和15年制作か?」確かに、白黒映像、映っている列車は蒸気機関車、字幕は旧字体、横書き字幕は右横書きです。しかし、RUclipsに投稿されている鉄道信号・閉塞に関する「現代の解説動画」と、クオリティーの遜色が感じられません。それほど現代的です。今ほど撮影・編集機材の質が良くはなかったはずですし。信じられません。敬服あるのみです。
C-5520って流線型の初号機じゃないか。側面板は撤去されているんだな。
21:22 D50の140号機やんけ……しかも形式付きナンバー
C55流線形が動いている。ミニスカートにされてるけど…でも流電にC53当時のオールスターだな!
C55リュウセンは何しろメンテ、補給が3倍手が掛かると言われたつるんとした外観は足の置き場がない昭和25年の快速列車機関車C55は更に外板が剥がされ骸骨の様な外観を呈していた
戦前のモハ52も、職員からは評判があまり良くなかったらしいですよ。やはりスカートの部分が、足回りの保守の際に邪魔で、スカートを跳ね上げても固定出来ないからつっかえ棒で支えていたが、それが倒れて作業員の頭に直撃したり(もちろん、ヘルメットなんてない)、それから乗務員扉も無いので、運転士と車掌は折り返し駅では客室の乗客をかき分けて乗務員室に入ったり、出庫の際は、ステップもないので、スカートの僅かな窪みに足を引っ掛けて車内に入っていたとか…美しい姿とは裏腹に、関係者たちの苦労も偲ばれます。この後、戦争が始まると、スカートが取り払われ、戦後には乗務員扉もつけられて、飯田線で活躍していたような姿になったらしいです。
手動でやってるのすごいな。
24:08 京都駅の駅舎ですね!
とすると23:27のレイアウトで左上に伸びている線は山陰線ですかね
カッコイイですね戦後の京都駅舎が一番醜い
21:21梅小路におる保存機だ!
流線C55が素晴らしい。音声はアフレコなのでC53のドラフトが3拍子でない(違う形式の音声を当てている)のが残念。
15:10 🐂うしさんがしっぽフリフリかわいい。鉄道好きなんだろうね。23:25 「並大抵では御座いませんよ」氏、机の下にタバコ隠す。燃えなかったか?後ろには、「火の用心」
信号機、分岐器の操作、確認を全部人がやってたのか。間違えない様にするのは大変だな。
なんなら、踏切も手動の時代ですよ。踏切警手が第一種踏切に配置されていた時代でした。
逆塗りのモハ52がカッコいい!
オリジナルよりも逆塗りの方が渋くて好きです。でもそれも短い間で、戦時体制になると惨めな格好になってしまうんですよね。
戦時対応の3両編成ですね。
客車の床下には痰壷があって、乗客はかーっペッとやってた。
今年の7月新一万円札の顔になる渋沢栄一が設立した京阪電気鉄道 1914年鉄道国有法で買収されなかった私鉄で急行運転を最初にした私鉄でもある昼間時に急行運転をする為に1915年4月 日本で初めて色灯三位式自動閉塞信号機をアメリカユニオンスイッチ社から導入 昼間時に急行運転が可能になる急行の設定は競合する国鉄東海道本線と避ける事の出来ない施策であったらしい
19:26C55流線型だ、ヒカリアンでは悪役のブラッチャーのウッカリーとして出ていました。^^
この動画、映画? 最高ですね
この時代なら、蒸気機関車も線路も完全に国産でしょ。明治の終わりには国産蒸気機関車作っているものね。
サムネ見て「ウッカリーだ!」と思ってしまったのは自分だけ?
「一秒も遅延しておりません」既に定時運行という考え方が定着している事がわかる素晴らしい映像です。それにしてもこれを映画館で流す目的は何だったのでしょう?当時の鉄オタ向け❓
部内教育用ですよ
19:26
24:24確かに3シリンダーの音ですね!感無量😂
26:30 この連結作業めちゃくちゃ危ないな…今やったら大問題やな。
少し雑ですけど、制動はかかっているので別段この程度でお客さんが倒れるようなことはないので問題はないです。私の現役時代もこのようなときはありましたよ。今の電車は緩衝器の容量も小さくレジンシューなので強く当たるとショックが大きいのでダメなだけです。
@@貓站長 連結するだけでもかなり危ない作業なんですね(汗)
4:02進路オールグリーンは快感やわ
流線形C55は特急用の機関車?
当時は臨つばに使用など花形でした、戦後もカバーを取られて無惨な外形ですが快速列車に使用されていました
信号の喚呼が「オーライ」なのですね.対米開戦後に「進行」に変わったのでしょうか.一般人も使う「出発進行!」は案外新しい言葉で,1941年以降ということなのか...
オーライは「all right」ではなく「往来」ではないですか?
@@CHIHATANK 「オーライ」が「往来 」からきているというのは初めて聞きました.「往来」の本来の意味から考えると,「行く,来る」の双方向なので,「オーライ」の語源としては苦しいように思いますが,どうなんでしょうね?
オーライはAll Rightです。なんでもかんでも英語は駄目だということでもなかったみたいです。私の両親は二人共戦時中に英語を学校で習ってます。海軍ではバケツの事をウォシュタブと言ってました。
@@正和今中 ありがとうございます.海軍は英語を使ってた,というのは聞いたことがあります.現在は出発進行になってるので,オーライから進行に切り替わったどのタイミングがあるはずですね.普通に考えると対米英戦が始まったときだろうなあ,と思います.どこかに資料残っていそうだけど...戦後にオーライに戻さなかったのも不思議といえば不思議.
@@yabusamerunner5156 オーライでは進行か注意かの区分がないからでしょう。だからオーライの代わりに進行とか減速とかの表示の喚呼に変えたのでしょう。
信号第一支社 リスクアセスメント【脱線のリスク】・試験チェックリストは全て終了した事を確認するぞ!・試験チェックリストは独断で判断しないぞ!
この時代、安定の恐いBGM😱
明治時代から電車が走ってくらいだからぬ
19:38 流線型SF
作業担当の人に急に何かあっても、常にまわりに他の人がいてフォローできる人員配置してたんでしょうね。だから合理化の名のもとに少しのミスも体調不良も許されない組織になってしまった国鉄。
この時代は鉄道省ですよ。国鉄にさせられたのは敗戦後の話
通票の取得にもし失敗したらどうするんだろう?無線機も無いし、第一駅との連絡も取れない。非常停止は当然としても、機関助手が回収に向かうのだろうか?それとも取得失失念に気付いた駅長が持って走るんだろうか? 列車が後退して取得なんてことはあり得ないよね?400mほどの後退だもん。
1995年のことですが…ruclips.net/video/ID4929NZEW8/видео.html基本的に受け取らないと通れない規則になってるので運転士だろうが駅員だろうがその辺のファンだろうが全力で当該電車に届けに行くかと
@@kk-dh8klさん 唯一の例外が日本の最貴賓列車であるお召列車。収受に失敗した場合は、誤って谷底へ落とした場合の運転取扱を拡大解釈して停車せずにそのまま進行でした。
原則停車して取りに行きます。実際受け取ったタブレットに「タマ(通票)がない!」となって緊急停車して探しまくったという事も。
当時と今をごっちゃにすると、乗客のスマホに「〇〇線〇〇駅~〇〇駅間で通票落下のため、列車が遅延しています」と通知がいったりして
なだいなんきちとは、何者ですか?伊東智美MI6とCIA
ここに登場するいろんな駅、何駅なのか気になります。
10:25 草津駅(直前の短いトンネルから推測)16:53 京都駅(18:55と24:02に出てくる陸橋の脚から推測)
@@JRWest223 さん ありがとうございます!
9:55辺りに出てくる山は近江富士こと三上山っぽいですね。
@@hirokun88 さん ありがとうございます。滋賀県付近のようですね。
アナログって大変
高柳君ですか?(習志野台中学校)伊東智美MI6とCIA
後藤田正純様伊東智美MI6とCIA
26:27 あぶなすぎる
今の駅員みたいに居眠りできんね
岩澤佑治先生伊東智美MI6とCIA
ピッパ・ミドルトンが、わかる?伊東智美MI6とCIA
信号取扱誤りによる事故は少ない、やはり運転士による事故が圧倒的に多い。
信号係の人達が囲碁将棋やったら絶対強くなる。
駅舎、ホームの感じは、昭和30、40年代まであまり変わらないし、旗振り安全確認や復唱して指示するやり方は、戦前にちゃんと決まってたんですね。凄いなぁ。
復唱(指差喚呼)は明治に日本で始まったもので、目が悪い機関士が助士に一々信号を確認していたのを見た御偉方が広めたようです。
なので日本と関係国以外ではほぼやっていないようです。
昔昭和45年に国鉄の川越線日進駅に赴任したときはまさに この通票閉塞式でした
懐かしいです
線路のアニメーションが実写に切り替わる映像技術が素晴らしい!
ナレーションが自然体で逆に新鮮ですね。
この時代の記録映画は戦意高揚のための大仰なナレーションが多いので、当時の人々がどのような標準語を映画やラジオで聴いていたのか、非常に参考になります。
現代とほとんど変わらない言葉で安心しました。
秋葉原の交通博物館の信号のコーナーでこの映像流れてましたね。訪れる度に食い入るように観てました。
また観る事が出来て嬉しいです。
モハ52の逆塗り塗装も貴重ですね。デビューした頃のクリーム色基調の明るい色を逆にしたあの塗り分けも、渋くて好きです。
現代は、これらの制御をコンピュータで行っているだけで、閉そくや連動、軌道回路の論理・しくみは変わっていない。人間系でも、前後の駅と「現発」や「閉そく」を行い、「指令者」が指示を出し「てこや」が復唱する。動作完了後「オーライ」と報告するのも変わっていない。それだけ完成されたものであると言える。
沢山の貴重な鉄道映像をアップしていただきありがとうございます。
流線型C55の実機動画は初めてです。
昭和15年に35mmフイルムで撮影。
なので凄くクオリティが高い。
レンズもかなりの物が使われていると思います解像度もコントラストも驚くほど良いですね。
昭和30〜40年代の16mmフイルムニュースのほうが画質悪いですね。
これ、2000年頃に某大手鉄道会社で運転士教習の教材として見せてもらった。当時はRUclipsとかネット動画もない時代。
列車を撮る時のアングルとかカメラワークが素晴らしすぎる。
台湾の高雄港駅 北信号扱所では、現役ではないものの、この映像と同じ日本統治時代の線路切替機が保存され、実際に線路を動かす体験ができました。説明してくれる台湾人の方が、このRUclipsをみると仕組みがわかりやすいと見せてくれましたよ。
古いのに、めちゃわかりやすいです。鉄道のシステムってほんとによくできてるなあ。
C55流線型や流電52系、それに国産唯一の3シリンダ機C53の旅客機としての主力だった頃の映像に、地上時代の大阪駅など貴重な映像がてんこ盛りですね。
11分ごろに出ている駅は、草津駅ですね。話をする駅員さんも、なんとなく江州訛りが出ています。また、上り側の向こうに、近江富士、三上山の姿も見えます。
訛りまでわかるとは…凄いです(脱帽)
旧草津川の天井川トンネルもあるしビンゴかと
戦前の草津(?)に神戸、大阪、京都の駅が映し出されてとても感無量になりました
どの線路区でロケをやってるのか判りませんでしたが流電(モハ52形)が走っていたので関西だと言うのが判りました。
また、信号取扱いの駅は駅舎を見て京都駅と言うのも判りました。
流線型のC55や流電のモハ52等貴重な車両が映っていますね。
しかも、ここに登場する車両のうち3両が80年ほど経った現在でも現物として存在するという。
流電が逆塗りバージョンというのも、また貴重ですね。
この映画のレアな所はC55 20流線形が出てる。しかも汽笛の音も流れてる。D50 140も出てる。
私は汽車の事は良く知りませんが、ただ父が産まれて間もない頃、母はまだ生まれてない頃の映像を見ることが出来て、胸が熱くなりました。祖父がまだ若かりし頃の時代の動画を見ることが出来て感動です
ATS導入前の戦前に、これ程まで保安設備が整っていた事に驚きました。
It's very cool to see that Japan had already such modern and sophisticated rail signalling ang track changing system as early as 1940. Very ahead of it's time indeed.
11:00からの人力でポイント切り替えしている所好き
19:35
C55流線型の映像とか貴重すぎる...
汽笛の音こんなに高かったんだ...
かわいい音で気持ちいいね。
写真とかでは幾度か見たことあるけど、流線型C55が汽笛鳴らして煙吐いて動いている映像が残っているのって、この作品ぐらいじゃないかな。本当にとても貴重で、ずっと残して欲しい作品です。
@@ヒストレイン蒸気機関車紹介みたいな動画に別の映像が残ってますよ
鉄道現場は、意外にも当時から機械化を進めていたことがよく分かります。
戦時体制への移行に伴って若い男性が不足したのも手伝ったようです
結果として貨車移動機やタンパーなど先進的な装備が広まりましたが
10分から15分辺りは草津駅(の手前の天井川)や三上山(近江富士)が見えてますね。
10年ほど前に住んでたので親しみを感じました
よく戦前の日本は時代錯誤の閉鎖的な世界から遅れた国と思ってる人がいるけど、実際は世界でもかなり技術力があって近代な国だったことがわかると思います。だからこそ、戦争で失ったものが多いのです。人材もですがそれまで培った技術力も失ってしまったんです。
世界初の原子爆弾がまさに日本に落とされようとしていた1945年にも竹槍で応戦しようとしていたという話を聞くと、どうしても「遅れた国」の印象を持ってしまいますね。「一億玉砕」とか、時代錯誤の精神主義以外の何物でもないし。
日本が負けたのは技術力がなかったからじゃなくて、上層部がバカだったからな気がするな(全員ではないけど)
@@zakky-x9wあと同調圧力もありそうです。
@@aka-mt2pn それもある
戦後の日本で戦前のGDPを超えたのは戦争が終わって15年後の1960年くらいまでかかっていて
あと4年後で東京オリンピックや新幹線開通とかのレベルの感じだったから
戦前の日本が貧しいと言う感じではないだよね
1940年で電気的な信号機ってあったんだ…
1941年で真珠湾攻撃あったはずだから、太平洋戦争ぐらいの時の人達ですよね?
昔から鉄道は凄い。かっこいい。
電気式信号機は京阪電鉄が最初で
大正時代からあるはずです
リレーシステムは明治期の技術だし、軌道電気回路も同様明治末期の技術。同時にATSに当たる機構も開発されている。リレーを使った計算機は日本でも戦前から開発され戦後に製品化、米のベル研究所は1940に複素数計算機を完成させている。二数の積による暗号の場合はこれを使うと解読を大きく早める機能がある。国鉄は東大や京大の巣窟なので最先端の技術を取り込む姿勢が有り、「みどりの窓口」は電算機の発達を国内でもいち早く取り入れたサービスであった。会計人の私としてはJR東海がリースを辞めて買い取りを請求したときの財務を再検証してみて驚いたことがある。当時のJR東海が新幹線路盤のやり替えを目論んで居たこともわかった。(その後300系の導入で線路が破壊されなくなり立ち消えた)
機関車の前に立って旗振りながら安全確認するやり方や駅舎の感じは、昭和30、40年代まで基本変わってないです。このような安全確認だれが発明したかと思いきや戦前に確立していたとは驚きました。
今の人は戦前というと江戸時代か幕末のような、マトモな機械文明も無い時代のような印象で語る人もいますが戦前でも電化されて
いる区間は多数ありましたし、そもそもモータリゼーションが遅れている国でマトモな企業活動を下支えしていたのは鉄道とそれに
連結されていた船舶システムがあったからです。コンテナどころかパレットすらまだ無い時代なのですよ?
システムは優れてても物流自体は現代のほうが他の先進国より劣ってるな
むしろ原始的な人力頼みすぎて退化してる
僕の仕事はミスっても人が死なないから良かったです。こんな緊張感が続く仕事はとても遂行できないなぁ‼️
私の仕事も同じです(怒鳴られるだけで人的被害は出ない)。友人に医師、トレーラーの運転手、路線バスの運転手、旅客用航空操縦士、飲食関係の現場責任者がいますが、みな「手抜きをしたり、間違えた場合でも消しゴムで消す様な事は許されない」と言っていた事ですね。従事している仕事の責任の重さと重圧が半端ないなと改めて感じました。
@@takana4381すごい友達ばかり。😅
@@佐藤キミアキさん ネタではなく、皆中学時代の同級生。
医師やっているのは昔から頭が良かった。横浜市大から医師へ。
トレーラーの運転手は父親もトレーラーの運転手。子供の頃から親のトレーラーの助手席に乗っていたので、この職業に付くのが当たり前と思っていたそう。
路線バスの運転手は、専門卒業後に日産ディーラーのメカとして就職したが、バスを運転したいとの気持ちがあり、大手民鉄系バス会社へ(メカ時代に大型一種は持っていた)
航空機パイロットは小学生時代からの付き合いですが、子供の頃の夢を初志貫徹。大学2年終了時に航空大学へ転進卒業してから某航空会社へ
飲食業は高校時代のバイトからのたたき上げ。衛生管理の鬼
入換信号機が今と同じな事に感動
私も国鉄に勤めていましたが、灯列式入信が当時あったとは驚きました。
当時はまだ機械式入信ばかりだと思っていたので。
こういうシリーズみたいなの?すごい好き
私の最も好きなC53や流線型C55の動画はじめて観ました。C53はまだ新車ぽい艶ですね。凄すぎる。
新幹線が生まれて、東京駅大阪を2時間半で結んで、間もなく1時間で結ぼうとしている現代でも、見たことあるような信号やら転轍器やら閉塞やらが出てくるの不思議な感覚
詰襟姿の鉄道員、なかなか凛々しいです。
時刻表昭和15年9月号が手元にありますが、東海道・山陽本線に2006レと2010レはあったものの、2008レは掲載されていませんでした。
この時代、1000番代は不定期列車(現在の季節列車)、2000番代は臨時列車という区分だったようです。
ちなみに2006レは岡山16:42発東京行きで、京都23:15〜22、東京には翌朝9:28到着。
2010レは下関23:10発の大阪行きで、大阪には翌朝9:43到着となっています。
当時は戦前の国鉄最盛期で、
超特急『燕』(東京〜神戸)、
その10分前を不定期『燕』(東京〜大阪)、
特別急行『富士』(東京〜下関)、
特別急行『鴎』(東京〜神戸)、
特別急行『さくら』(東京〜下関)、
さらには急行ながら1,2,3等寝台と展望車(京都〜下関間)も連結されていた7,8レも東京〜下関間に運転されていました。
10:57 C57 123は形式無しナンバープレートですが、このカマは昭和14年12月24日付で梅小路機関区に新製配置されたばかりの新車なので、日支事変が始まった直後にはナンバープレートから形式が省略されていたことが推察できますね。
京都駅1番線の軒下の煙除けの造作が美しい✨
防諜上の理由で、架空の列車番号で収録したのかも。
当時「鉄道は兵器」とも呼ばれていました。
昭和15年でかなりの映像技術に驚かされる!
バタフライ式焚き戸口なのに片手スコップ、石炭節約の時代なのでしかたないが大変なのは決めた人にはわからないC52から採用した焚き戸口だがアメリカでは大スコップでガンガン焚きエネルギッシュに走り石炭なんて露天掘りでいくらでも掘れる、燃焼室がない日本のカマは熱効率は悪いし石炭は煙管に吸い込まれ詰まって蒸気は更に上がらない爪で拾って箕でこぼすとはこの事。
ホームに洗面台があって実際に使ってる人がいるのが面白い。
✨復唱によって、乗客の安全を✨守っていらっしゃいますね😊
ダブルチェックは今も昔も大事です😉
18:52の線路を跨ぐ高架は、大宮通りの跨線橋かと思います。市電の架線柱が現存している橋です。
通りで見たことあるような気がしました。鋭い
草津駅、大きな駅はたぶん京都? あと、ハッとしたのは当時占領中の台北駅じゃないかと思ったシーンがありました。背後に西本願寺台北分院だと思われる建物がありましたね。たぶん、台北ですね。 C55は、そのころ確かに台北と苗里辺りにあったでしょうから。
この時代でも一部の蒸気機関車に速度計がついていたのですね。もちろん機械式。今ではこの機械式速度計を保守できる人がいないと、どこかの記事で読みました。貴重な映像ばかりでありがたいです。
自動車用ですが、擬似的に機械式の様な針の動きをする電気式社外メーターが販売されていました。
流線C55の後ろの白帯のついた客車はもしかしたら「病客車」のスヘ30かも知れません。日中戦争下であるので戦地から後送されて来た負傷兵が乗車していたかもしれません。一般の人に目に付かないように先頭部に増結していたのも頷けます。
負傷具合で三等車に乗車していたところ、「兵隊さんお疲れ様でございました。どこを負傷されたのですか?こちらへどうぞ」と車掌さんが二等車に案内したということもあったそうです。なお負傷兵が病客車(スヘ30、なお精神病患者専用車も用意されておりそちらはスヘセ30でセは精神病のセ)だけでなく一般車両で移動する場合は白い傷病兵服を着る事が義務付けられていた様で、逆にその様な方を見た場合みんな進んで席を譲ったり車掌さんがクラスを移動させたりしました。
13:17テコでも動かない、に微笑んだ
はい。せりふと身のこなしは、俳優さんかと思うほど。てこが動かないことを証明してくださいました。😊
説得力ある説明ですよね。
この土台があったからこそ
新幹線のATC.CTCに生かされている
良く新幹線が戦後20年で出来たと言う
資本主義者がいるが、戦中、戦前から
技術の蓄積が有ればこそなのです。
この時代、もっとアナログなのかと思いきや、今のシステムと何ら変わりのないものが構築されていた
基本的なシステムは同じで、これがリレー式や電子化されただけです😆
SLといえども急行列車の速いこと速いこと!当時のエース、C53、特急の王者C55は運転手さん助手さんは大変だと伺いましたが、みんなの憧れの超特急だったんでしょうね。
昔話のように見えますが、基本的な原理(連動・信号・閉塞)は今の時代も変わらないのがすごいですよね。人力で人の判断で操作しているテコがコンピューターに置き換わっただけです。
あと、戦前のこの時代からミミックパネルが使われていたことに驚きです。
ありがとうございます。感謝します。
この映画でC53の3シリンダーの排気音を初めて聞きました。
他にも流線形のC55や、当時はまだ新参のC57とか、
信号転轍が主役の映画だけど、今となっては時々お伽話みたいに語られる程(笑)の機関車たちが、
現役で迫力満点の走りを見せてくれる素晴らしい映画だと思います。
懐かしいです!!
3:16
「出発進行」は、駅の向こうにある出発信号が進行になったという意味。駅の手前の信号が青なら、「場内進行」と言う。
短尺レールの心地よい音……
C5347特急富士を牽く姿が本島さんの鉄道に載っています、同じ写真がアイゼンバーンのC52、C53にものっています燐然と輝いてとの表現で当機を賛じています、戦前の黄金期の映像です
いきなり東宝の怪獣映画みたいな音楽が流れてきてワロタ₍w
つか、東宝が制作したのね。
だから伊福部さんが音楽を担当してるのね。
15:50東海道本線塚本〜大阪の福島あたりのカーブでしょうか?
25:23
かっこいいなぁ
C53
昔から何も変わっていないのは運転士、駅員には幾重にもバックアップがあるが、点検、工事、保守をする信号現場にはダブルチェック程度のバックアップしかないこと。
吹田のモハ52、京都鉄道博物館に持ってきて欲しい。あれだけ戦前の急電時代の姿に見事に復元された素晴らしい姿、限られた時にしかご開帳されないなんて、勿体ない。
吹田工場へ移動する際にも大揉めに揉めた(吹田工場の助役が豊橋から俺が運転して持ってくると言ったほどに揉めた、結局貨物に連結という形で運んだ)こともあって、吹田工場もおいそれと京都に渡したくないんでしょう。
C53が動くシーンはレアやなぁ~♪
昭和15年は、太平洋戦争開戦前であるが、作業指示、呼応の感じは、軍隊そのものですね
戦争に備えて変電所対策なのか、やはり蒸気機関車が目立ちますね😮
この時期すでに戦時輸送体制に突入しています、ですので使用されている石炭の質なども低下傾向にあるため
排煙が白では無く黒っぽいものになっています。蒸気機関車が目立つのも変電所対策より石炭の分配・配給体制
の軍への優先化もあります。
第一印象はこれです。
「本当に昭和15年制作か?」
確かに、白黒映像、映っている列車は蒸気機関車、字幕は旧字体、横書き字幕は右横書きです。
しかし、RUclipsに投稿されている鉄道信号・閉塞に関する「現代の解説動画」と、クオリティーの遜色が感じられません。それほど現代的です。今ほど撮影・編集機材の質が良くはなかったはずですし。信じられません。敬服あるのみです。
C-5520って流線型の初号機じゃないか。側面板は撤去されているんだな。
21:22 D50の140号機やんけ……しかも形式付きナンバー
C55流線形が動いている。
ミニスカートにされてるけど…
でも流電にC53
当時のオールスターだな!
C55リュウセンは何しろメンテ、補給が3倍手が掛かると言われたつるんとした外観は足の置き場がない昭和25年の快速列車機関車C55は更に外板が剥がされ骸骨の様な外観を呈していた
戦前のモハ52も、職員からは評判があまり良くなかったらしいですよ。やはりスカートの部分が、足回りの保守の際に邪魔で、スカートを跳ね上げても固定出来ないからつっかえ棒で支えていたが、それが倒れて作業員の頭に直撃したり(もちろん、ヘルメットなんてない)、それから乗務員扉も無いので、運転士と車掌は折り返し駅では客室の乗客をかき分けて乗務員室に入ったり、出庫の際は、ステップもないので、スカートの僅かな窪みに足を引っ掛けて車内に入っていたとか…美しい姿とは裏腹に、関係者たちの苦労も偲ばれます。この後、戦争が始まると、スカートが取り払われ、戦後には乗務員扉もつけられて、飯田線で活躍していたような姿になったらしいです。
手動でやってるのすごいな。
24:08 京都駅の駅舎ですね!
とすると23:27のレイアウトで左上に伸びている線は山陰線ですかね
カッコイイですね
戦後の京都駅舎が一番醜い
21:21
梅小路におる保存機だ!
流線C55が素晴らしい。音声はアフレコなのでC53のドラフトが3拍子でない(違う形式の音声を当てている)のが残念。
15:10 🐂うしさんがしっぽフリフリかわいい。
鉄道好きなんだろうね。
23:25 「並大抵では御座いませんよ」氏、机の下にタバコ隠す。燃えなかったか?
後ろには、「火の用心」
信号機、分岐器の操作、確認を全部人がやってたのか。間違えない様にするのは大変だな。
なんなら、踏切も手動の時代ですよ。
踏切警手が第一種踏切に配置されていた時代でした。
逆塗りのモハ52がカッコいい!
オリジナルよりも逆塗りの方が渋くて好きです。
でもそれも短い間で、戦時体制になると惨めな格好になってしまうんですよね。
戦時対応の3両編成ですね。
客車の床下には痰壷があって、乗客はかーっペッとやってた。
今年の7月新一万円札の顔になる渋沢栄一が設立した京阪電気鉄道 1914年鉄道国有法で買収されなかった私鉄で急行運転を最初にした私鉄でもある
昼間時に急行運転をする為に1915年4月 日本で初めて色灯三位式自動閉塞信号機をアメリカユニオンスイッチ社から導入
昼間時に急行運転が可能になる
急行の設定は競合する国鉄東海道本線と避ける事の出来ない施策であったらしい
19:26C55流線型だ、ヒカリアンでは悪役のブラッチャーのウッカリーとして出ていました。^^
この動画、映画? 最高ですね
この時代なら、蒸気機関車も線路も完全に国産でしょ。明治の終わりには国産蒸気機関車作っているものね。
サムネ見て「ウッカリーだ!」と思ってしまったのは自分だけ?
「一秒も遅延しておりません」既に定時運行という考え方が定着している事がわかる素晴らしい映像です。
それにしてもこれを映画館で流す目的は何だったのでしょう?当時の鉄オタ向け❓
部内教育用ですよ
19:26
24:24確かに3シリンダーの音ですね!感無量😂
26:30 この連結作業めちゃくちゃ危ないな…今やったら大問題やな。
少し雑ですけど、制動はかかっているので別段この程度でお客さんが倒れるようなことはないので問題はないです。
私の現役時代もこのようなときはありましたよ。
今の電車は緩衝器の容量も小さくレジンシューなので強く当たるとショックが大きいのでダメなだけです。
@@貓站長 連結するだけでもかなり危ない作業なんですね(汗)
4:02
進路オールグリーンは快感やわ
流線形C55は特急用の機関車?
当時は臨つばに使用など花形でした、戦後もカバーを取られて無惨な外形ですが快速列車に使用されていました
信号の喚呼が「オーライ」なのですね.対米開戦後に「進行」に変わったのでしょうか.一般人も使う「出発進行!」は案外新しい言葉で,1941年以降ということなのか...
オーライは「all right」ではなく「往来」ではないですか?
@@CHIHATANK 「オーライ」が「往来 」からきているというのは初めて聞きました.「往来」の本来の意味から考えると,「行く,来る」の双方向なので,「オーライ」の語源としては苦しいように思いますが,どうなんでしょうね?
オーライはAll Rightです。なんでもかんでも英語は駄目だということでもなかったみたいです。私の両親は二人共戦時中に英語を学校で習ってます。海軍ではバケツの事をウォシュタブと言ってました。
@@正和今中 ありがとうございます.海軍は英語を使ってた,というのは聞いたことがあります.現在は出発進行になってるので,オーライから進行に切り替わったどのタイミングがあるはずですね.普通に考えると対米英戦が始まったときだろうなあ,と思います.どこかに資料残っていそうだけど...
戦後にオーライに戻さなかったのも不思議といえば不思議.
@@yabusamerunner5156 オーライでは進行か注意かの区分がないからでしょう。だからオーライの代わりに進行とか減速とかの表示の喚呼に変えたのでしょう。
信号第一支社 リスクアセスメント
【脱線のリスク】
・試験チェックリストは全て終了した事を確認するぞ!
・試験チェックリストは独断で判断しないぞ!
この時代、安定の恐いBGM😱
明治時代から電車が走ってくらいだからぬ
19:38 流線型SF
作業担当の人に急に何かあっても、常にまわりに他の人がいてフォローできる人員配置してたんでしょうね。だから合理化の名のもとに少しのミスも体調不良も許されない組織になってしまった国鉄。
この時代は鉄道省ですよ。国鉄にさせられたのは敗戦後の話
通票の取得にもし失敗したらどうするんだろう?
無線機も無いし、第一駅との連絡も取れない。
非常停止は当然としても、機関助手が回収に向かうのだろうか?
それとも
取得失失念に気付いた駅長が持って走るんだろうか?
列車が後退して取得なんてことはあり得ないよね?
400mほどの後退だもん。
1995年のことですが…
ruclips.net/video/ID4929NZEW8/видео.html
基本的に受け取らないと通れない規則になってるので運転士だろうが駅員だろうがその辺のファンだろうが全力で当該電車に届けに行くかと
@@kk-dh8klさん 唯一の例外が日本の最貴賓列車であるお召列車。収受に失敗した場合は、誤って谷底へ落とした場合の運転取扱を拡大解釈して停車せずにそのまま進行でした。
原則停車して取りに行きます。実際受け取ったタブレットに「タマ(通票)がない!」となって緊急停車して探しまくったという事も。
当時と今をごっちゃにすると、乗客のスマホに「〇〇線〇〇駅~〇〇駅間で通票落下のため、列車が遅延しています」と通知がいったりして
なだいなんきちとは、何者ですか?
伊東智美MI6とCIA
ここに登場するいろんな駅、何駅なのか気になります。
10:25 草津駅(直前の短いトンネルから推測)
16:53 京都駅(18:55と24:02に出てくる陸橋の脚から推測)
@@JRWest223 さん ありがとうございます!
9:55辺りに出てくる山は近江富士こと三上山っぽいですね。
@@hirokun88 さん ありがとうございます。滋賀県付近のようですね。
アナログって大変
高柳君ですか?(習志野台中学校)
伊東智美MI6とCIA
後藤田正純様
伊東智美MI6とCIA
26:27 あぶなすぎる
今の駅員みたいに居眠りできんね
岩澤佑治先生
伊東智美MI6とCIA
ピッパ・ミドルトンが、わかる?
伊東智美MI6とCIA
信号取扱誤りによる事故は少ない、やはり運転士による事故が圧倒的に多い。
信号係の人達が囲碁将棋やったら絶対強くなる。